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ルイヴィトンヤヨイクサマパンプキンドットジッピーウォレット編集

「わっ」  怖ろしさと、恥ずかしさとに一度におそわれて、僕はおもわず声を上げると、そのまま二階の部屋まで、いちもくさんに逃げた。  なぜ逃げたのだろう——。そう思ったのは、それから一時間ほどもたってからだ。——逃げないで、じっとしていて、つまらなそうにゆっくり眠るふりでもしたら、それでよかったのではないか。あんなふうに大声を上げれば、こちらが思っている以上に芳枝をおどろかせたにちがいないのだ。かんがえてみれば僕の考案は、やっぱり最初からまちがっていた。あんなことをしたのでは、もう僕は芳枝には何とたのみこんだところで、たのみをきかせるわけには行かない。後悔とともに僕はむしろ恥ずかしさが消えて、自分のやったことを振りかえる余裕がでてきた。いちばんいけないのは僕がいまだに自分を子供だと思いこんでいることだ。世間の人も、芳枝も、もう僕を子供だとは思っていない。——もし芳枝が僕のことを子供だと思っていたら、あんなに怒った顔はしないはずだ——。それなのに僕は自分が大人になりかかっていることを自分一人の秘密だとばかり思っていたのだ。  それにしても、あの時、あそこに何も見えなかったというのは、どういう理由によるのだろう。女というのは、そういうものなのだろうか。それとも芳枝だけが何か、あそこをかくしてしまううまい方法を知っているのだろうか。  お寺では僕がかえって来たからといって、背がのびただの、鼻が高くなっただのと言ってくれる人はなかった。けれども僕は、この一と月半ほどの間に、たしかにこれまでにないほど変ってしまっていた。誰に言われなくても、それがようやく自分でものみこめるようになってきた。  これは僕だけのことではなく、学校でしばらくぶりで顔を合せる連中が誰でもそうなのだ。田舎へ行って日に灼《や》けて真黒くなってきた者も、そうでない者も、おしなべて骨っぽい顔つきになってきた。もうザッソウのことなど話題にする者はいなくなり、それが話題になる場合でも、いまでは生えそろっていない連中が肩身をせまくする番になった。また、滝村の勢力失墜もこのごろで目立った変化の一つだった。彼の新知識がもう珍しくはなくなったというより——その方面の新知識は依然として僕らを興奮させるものである——、滝村が新知識といっしょに振りまわす道徳がもはや誰の眼にもひどく陳腐《ちんぷ》なものであり、そんなものにおびえるということがなくなったからだ。滝村自身もそのことに気がついたのか、このごろでは医学の本などよりもニキビとり美顔水の権威になろうとしていた。先学期までは誰も美顔水のことなど口にするものはいなかったが、たとえば額にできたニキビは帽子をかぶるたびに擦れて痛いし、背中の方までまわってきたニキビはもうほうってはおけない病気かもしれないという気を起させた。そんな実際的な要求から、ニキビとり美顔水をつかうことは別段、恥ではなくなったのだ。……もっとも、まだそれほどたくさんニキビのできていなかった僕は、滝村のもってくる美顔水をみるたびに、母親の鏡台のまえに並んだ化粧瓶が眼にうかび、滝村の顔がへんにベタベタした感じがした。  僕はもう房江の誘惑にはのらなくなった。柱時計の失敗で、ともかく子供ぶったってダメだということがハッキリしたからだ。子供のやるお医者さんごっこはもう僕には許されない、そう心がさだまったあとでは房江はただの子供にすぎなかった。僕はまた駄菓子や甘ナットウをこっそり買うこともやめてしまった。ひとわたり食べてしまったあとでは、何であんなものが食べたかったのかと思うようなものばかりだった。ただ学校の勉強をする気にはどうしてもなれなかった。新学期からブルドッグは新しい刑罰をかんがえた。遅刻してきた生徒には教室へはいることを許さず、その日一日、講堂で自習させるという。これはブルが、外国の立派な劇場では幕があくとお客を中に入れないという話をきいて、おもいついたことだ——。だが僕にとっては、こんなに都合の好い、気のきいた罰はなかった。サボリたくなったときには、いつでもちょっとだけ遅れるようにすればいいのだ。講堂には監視はつかないし、となりにある図書室からは、いくらでも本が持ってこられるから、退屈する心配はなかった。僕には愛読書はなかったが、手あたり次第に何でも読んだ。しかし世界美術全集と地理風俗大系の南洋編とは、ほかに何を読むときでもほとんど欠かさず、いっしょに持ってきた。ことに「南洋編」のなかにある裸の土人の娘の写真は、見るたびに僕を魅《ひ》きつけた。焦茶色のインキで印刷されたその写真は、それほど精巧なものではなかったけれど、そこにある女の裸はまるでジカに僕に訴えてくるので、おしまいにはその本そのものが、一人の女のように思われた。もう一つの美術全集の方では、ギリシャ彫刻の写真がたのしみだった。けれども、この方はけっして本そのものが女になって感じられるということはなかった。  講堂に閉じこめられるのは、たいていは僕一人だった。となりの組の本間という株屋の息子や、井上という一級上から落ちてきた生徒が、たまにいっしょになることがあるだけだった。しかし彼等といると、僕はかえって退屈した。別にかくす必要はなかったが、彼等のまえでは南洋編も美術全集も見る気にはなれなかった。本間はまだ小学生のような顔つきをしており、話をしてもひどく子供っぽかったし、井上の方はまるでそんなものには興味がなさそうに思えたからだ。井上が落第したのは成績不良のためではなく、まえの年に水銀をのんで半年ほど学校をやすんだからだそうだ。——水銀をのむと声がシブくなってヤクザ仲間におどしがきくからだ、と井上はカスカスした声で言った。いわれてみると、その声はまるで気管の破れ目から風が漏れるような感じがする。しかし僕がおどろくのは、そんな井上が講堂のなかでオノケイの単語集や数学の参考書を熱心に読んでいることだ。自分のようにいつ退学になるかわからないものは、こういうものをやっておく必要があるというのだ。僕が保成倫堂先生の家にあずけられていることを話すと、井上はすこし芝居がかって見えるほど僕に同情し、自分の仲間にもM学院中学の校長の家にあずけられている男がいると言った。「そいつは朝飯のとき、いつも校長の目のまえで塩せんべをゲンコツで叩き割って、味噌汁のなかへ浮べて食っちまうんだ。度胸のすわった、偉い男だ、こんどあんたに紹介しよう。……それから、これは別のはなしだが、不良仲間に喧嘩《けんか》を売られるようなことがあったら、いつでもおれのところへ話してくれ、どんなことがあってもすぐ、助けに行くから」  そう言われても、僕には喧嘩をしかける者もいないし、こちらから積極的にやっつけてやりたいとおもう相手もいない。それに味噌汁のなかへ塩せんべを割って入れることが、どうしてそんなに尊敬にあたいするのかも合点が行かなかった。……だが僕は、べつに井上を敬遠しようとはかんがえなかった。ちょっと風変りな、おもしろい話をするやつにはちがいないと思ったからだ。井上は別れしなに、「いるなら、やろう」とメリケン・サックをくれようとしたが、僕はことわった。そんなものを貰うことが危険だからというより、役にも立たないものをポケットに入れておくことが、ただ単純にめんど臭かったからだ。井上は僕の顔をみて、すこし失望したようなウス笑いをうかべた。  お寺で変ったことといえば、倫堂先生の遠縁に当るという、ゆかりさんという人がやってきて、納戸をはさんで僕の部屋と反対側の座敷に寝とまりするようになったことだ。「お嫁に行くまえに東京の水でみがきをかけるのよ」と奥さんは言った。ゆかりさんにかぎらず、ときどき遊びにやってくる先生や奥さんの親戚の人たちと顔を合せるのが僕は苦手だ。みんなは茶の間で新聞を読んでいる僕をみても、何かめずらしい動物に出会ったような顔つきになるからだ。いや、めずらしがられるのはどうでもいいとしても、やってくる人がそれぞれ違った態度でめずらしがるので、こちらとしてはまごついてしまう。とおくからチラチラと僕の方をながめて、ひそひそ声で奥さんに話す人がいるかと思うと、部屋にいる僕をわざわざよびに来て話しかける人もいる。いちばん困惑するのは食事のときだ。いっしょに食べろと言われるときもあれば、僕だけが別の部屋でひとりで食べさせられるときもある。無論、僕は特にこの家の親戚の人たちといっしょに食事したいとは思わない。ただ、そのときそのときによって、いっしょに一つのお膳をかこんだり、僕のぶんだけ部屋にもってこられたりすると、なんとなく僕は皿の中のものが冷くなっているような気がするのだ。  ゆかりさんには僕は別段、遠慮することはいらないはずだ。事実、彼女はお寺のなかで僕と大体同じような待遇をうけていた。家族でもなく、使用人でもない……。だが、それだからといって僕はゆかりさんを同輩にも友達にもするわけには行かない。むしろ、その反対に彼女はいつも僕には意地悪く当っていたし、僕は僕で彼女の言葉づかいのナマリをきくと、それだけでもイライラさせられた。いつか僕が風呂場の屋根づたいに柿の木にのぼって柿をもいでいると、下から、 「こら、お寺のものを黙ってとると泥棒さんですぞ」  と、ドナる声がするので、見るとそれは帯に両手をはさんで立ちはだかったゆかりさんだった。僕はおどろいたにちがいなかった。雨あがりで柿の木は濡れており、どうかすると滑りそうになるうえに、ちからをいれて踏んばると黒い木の皮は剥がれやすくて、はだしの足に棘《とげ》のように痛い。気をつけていたのに、ゆかりさんの一喝《いつかつ》に思わず足を踏みはずし、ぶら下った枝が音をたてて折れると、ふところの柿の実がころがり落ちるのといっしょに、僕の体は風呂場のトタン屋根のうえに墜落した。手や内股《うちまた》やのあちこちに擦《す》り疵《きず》をこしらえただけで別にたいした負傷ではなかったけれど、ぶざまな転落の恰好を彼女のまえで示してしまったということは、それだけでも充分腹をたてる理由になる。……しかし、僕がゆかりさんにイラ立たしい思いをするのは、本当はそんなことのためではなく、たとえば僕が「じつは柿を食べるのは好きではないが、赤い実がとりたくなったからとったのだ」と、いくら説明してやっても、彼女がそれを絶対に認めようとしないことだ。そしておしまいには僕自身まで、本当はおれはやっぱり柿が食べたくて木に登ったのかもしれないと思ったりするようになるのだ。
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